『あたまにつまった石ころが』
『あたまにつまった石ころが 』
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今日は息子の3歳児健診でした。
お名前は?と聞かれ、「〇〇くん」と答える息子。
保健師さんの作る積み木と同じものを作ってね、と言われ、その積み木に自分の積み木を重ねる息子。
絵の描いてあるカードを見せられて「これは何?」と聞かれ、「青」と色を答える息子。
隣で黙って見ているだけの親からしたら突っ込みどころ満載でしたが、特に問題もなく終わりました。
そしてこの健診の1番の問題だった「検尿」。
息子はトイトレ真っ最中、今日の今日まで、トイレで成功したことはありませんでした。
どうしたものかと考えあぐねていましたが、何とか何とか数滴ほど採取ができ笑 「足らないかもしれないですね〜」なんて言われながらも無事提出できました。
なかなかマイペースな成長の息子。
健診はどうしても「標準」を目の当たりさせられます。
身体測定の時にオムツではなくパンツの子も沢山いる。「朝検尿できませんでした」と言い、その場ですぐに採取できる子もいる。積み木もお絵描きも何の問題もなく完璧な子もいる。
息子はどれも「完璧」ではありません。
その事に焦りを覚えないと言ったら嘘になる。
普段は「息子のペースで」と思っていても、「3歳児の標準」を目の当たりにすると、「大丈夫なのかな」という不安がないわけではない。
でも、順番待ちの間一緒に持ってきた絵本を読み、棚にある絵本から「これお家にあるのと同じやな!」と嬉しそうに持ってきて、しばらくしたら飽きてきたのか「向こうで遊んでもいい?」とプレイスペースへ向かう、そんな息子の姿を見て、「これでいいんだ」と何だか不思議な安心感もありました。
できないことは沢山あります。苦手なことも沢山あります。
でも、彼は彼の歩幅で成長しています。
「集団の中の1人」ではなく、「彼個人としての1人」として、わたしだけは常に見ていよう。
そんな風に思えました。
みんなと同じじゃなくていい。
何か一つでも、自分の中で大切なものを見つけられる人生であってほしい。
そう思って子育てをしています。
健診もそうですが、これから集団生活に入ると否応なく「平均」「標準」「普通」が目に付きます。
そんな時に、わたしの指針も息子の指針もぶれないようにしたい。
「そのままでいいんだよ」、そんな風に伝えられる親でありたいと思います。
この絵本の主人公も、「普通」とは少しかけ離れています。
何しろ、「石ころ」が大好き。
人から見たら「ただの石」でも、彼にとっては宝石の様な存在です。
学歴もなく、不況に煽られ、家族がいるものの生活も苦しい。そんな中でも、「石ころ」に対する情熱だけは失いません。
そんな彼が、とあることをきっかけに博物館で働くことになります。
学歴のない彼は博物館で学芸員として働くわけにはいきません。単なる夜の管理人です。
でもしっかりその仕事をこなしながら、沢山の石に囲まれて仕事ができる環境を活かします。
彼がその後どうなったかは、是非絵本を読んでみて欲しいと思います。
どんな状況でも、彼は心の中にある「軸」を見失いませんでした。
それだけに溺れることなく、置かれた状況でやるべきことを全うしつつも、ぶれない「軸」を持つ。その「軸」は、生きていく上で何よりも力になると思います。
この絵本を作ったのは、実は彼のお子さんです。
あとがきで、彼女はこう書いています。
「父が情熱をかたむけたのは、石や鉱物だけではありませんでした。「学ぶ」ということそのものをこよなく愛し、尊重していたのです。」
「父ほど幸福な人生を送った人を、わたしはほかに知りません。」
何か一つでも夢中になれるものがある人生は、それだけで豊かになると思います。
そして夢中になるものがあれば、「学ぶ」楽しさも感じることができる。
それが学校の勉強でなくてもいい。そこで「平均」ばかりを気にするより、「石ころ」で120点を取れる方がいい。
みんなと同じじゃなくてもいいんだよ。
子どもを1人の人間として尊重できる、そんな親になりたいと、絵本を読みながら思いました。
息子のあたまにいっぱい詰まっていくものは何だろう。
これからまだまだ沢山の絵本を読み、物語に触れ、その小さな身体に沢山沢山種を蒔いてあげたい。
そこから芽吹いたものから、選び取るのは息子の自由。
どんなものを選ぶのか。彼の、彼だけの「石ころ」を楽しみに待ちながら、わたしもわたしだけの「石ころ」を大切にしていきたいと思います。
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『あたまにつまった石ころが』
キャロル・アーティス・ハースト 文
ジェイムズ・スティーブンソン 絵
千葉茂樹 訳
光村教育図書 2002/07
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ayumi◡̈⃝