『喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束』
食野雅子 訳
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息子は本当に抱っこ魔です。
男の子は特に甘えん坊が多いと聞きますが、最近はご飯を食べるのも抱っこで食べさせてという甘え具合。
幼児期は思う存分甘やかせてあげたいと思う反面、16キロの巨体を四六時中抱っこし続けるのは体力的にきついものがあります。
「今だけ」だとわかっていても、辛いことは辛い。
子育て中のお母さんはそういったことを沢山抱えていると思います。
イヤイヤ期も今だけ。
抱っこ抱っこも今だけ。
いずれ、手すら繋がせてもらえなくなるんだから。
頭ではわかっていても、実際大荷物のスーパーの中でひっくり返られたら本当に泣きたくなるし、そんな荷物の中で抱っこ抱っこで家まで抱っこだと、いくら体力があっても足りません。
怒りたくない。甘やかせてあげたい。愛情をたっぷり注いであげたい。
どんな母親でも、きっとそんな想いを持っているはずです。
怒りたいと思いながら怒る母親はいません。
みんな葛藤しながら子育てをしている。
でもだからと言って、子どもに「いい子になれ」と言うのはまた違います。
大人が思ういい子は、間違いなく大人にとって「都合のいい子」です。
それを子どもに強要するのは違う。
スーパーでひっくり返って泣き叫ぶ。
抱っこ抱っこでお母さんを困らせる。
それがありのままの子どもの姿で、例え怒ってしまっても、母親はそれを受け入れるしかない。
お母さんの機嫌は、お母さんが取らないといけません。
理不尽な気もするけど、それが母親の役割。
例えば朝少しだけ早く起きてコーヒーを1人でゆっくり飲む時間を作る。
家族みんなが寝静まった後に、好きな映画や録画していたドラマを見る。
どうしても眠い時は、たまには朝の家仕事を休んで子どもが起きるまで一緒に寝てみる。
協力してくれる人がいるなら、誰かに助けてもらって1人の時間を手に入れてもいい。
一時保育を利用するのだって、悪いことだとは思いません。
自分の気持ちが安定していたら、自然と子どもに対する接し方も変わってきます。
同じ状況であっても、「あぁ、またやってるなぁ」と苦笑するのか、「いい加減にしなさい!」と雷を落とすのかは、その時のお母さんの気持ち次第でもあります。
子どもは思い通りになりません。
思い通りになるのは、自分の心だけです。
わたしは本を読む時間があれば、だいぶ心が落ち着きます。それにコーヒーがあれば尚良い。
せっかくコーヒーをゆっくり淹れてさぁ飲もう、と思った瞬間子どもが起きてくることもありますが、その時間はわたしの心に平穏をもたらしてくれます。
でもいっぱいいっぱいになっている時は、本を読む気がしなくなる。
こうなると、まずいと自分でもわかります。
そんな時開く絵本が、この絵本です。
ターシャ・テューダーの美しい絵が心を穏やかにしてくれる。
刻まれた言葉たちは、ターシャが気に入った、あるいは啓発された作家や詩人のものです。
前から順に読むことはしません。
ぱらぱらとめくり、ふと目にとまった言葉をゆっくり噛みしめる。
詩集も同じ様に読みます。
お気に入りの詩集を増やし、心がささくれてると感じた時に適当に開きます。
短い言葉が、次第に心を落ち着けてくれます。
絵本はこうして、たまに大人を助けてくれます。
「絵本のある子育て」を広めたい。そう思っていますが、それは決して子どもの為だけではない。
お母さんにとっても絵本が支えになる時があります。
だからわたしは、「絵本のある子育て」を続けていけるのだと思います。
最後に、この絵本の1番初めに出てくる言葉を。
「心に平安をもたらすことができるのは、自分しかいない。」
世の中のお母さん達に、心の平安をもたらす何かが見つかります様に。
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【247】『喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束』
食野雅子 訳
メディアファクトリー 1999/11
160326
ayumi◡̈⃝