『まちんと』
松谷みよ子 文
司修 絵
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8月6日。
日本人として、いえ、現代を生きる者として絶対に忘れてはならない日。
今日紹介させていただく絵本は、この絵本です。
『まちんと』
表紙やタイトルに、覚えのある方も多いと思います。
中には「怖い絵本」というトラウマを持っている方もいるかもしれません。
間違いないです。怖い絵本です。
でもそれは、知らなければならない怖さです。
昭和二十年八月六日の朝
げんしばくだんに おうたげな
この様な語り口調で、絵本は進みます。
3歳になる女の子は、原爆によって命を落とします。
母親にトマトを「まちんと」とねだりながら、死んでいきます。
その女の子の魂は鳥となり、今でも空を「まちんと」となきながら、飛んでいるのです。
「まちんと」とは、「もうちょっと」という意味合いの方言を、幼い子が回らない舌で言った言葉だそうです。
まるで昔話の様なストーリー。
松谷さんはあとがきで、これは現代の民話だと仰っています。
直接的な言葉や絵は出て来ません。
見るに絶えない絵本ではありません。
ですが、読む者に深く深く、戦争と原爆の愚かさを落とし込みます。
「怖い絵本」だと最初に述べましたが、この表現は間違っているかもしれません。
でもこの絵本を読んで「怖い」と感じる心はとても大切です。
戦争は怖いもの。
原爆は怖いもの。
子どもであろうが大人であろうが、まず、感じなければいけないと思います。
「戦争を語りつぐということは説明することではないのだと。ともすれば私たちは説明し、教えようとしているのではないでしょうか。実感の重みこそ求められているのに。」
松谷さんはそう述べられています。
戦争について、原爆について、ある程度になれば学校で教わります。
勿論それも大切です。教わらなくなってしまっては元も子もありません。
でもそれと同時に、実感する事。
体験する事はできません。あってはならない事です。
なので、感じるしかありません。
戦争を、原爆を、語れる人は少なくなってきています。
でもその事実は、決して風化させてはいけないものです。
実感の重み。
この絵本は、それを読み手に深く伝えてくれます。
帯には、読み聞かせて理解して欲しいのは小学校低学年からとあります。
ですがあとがきにもある様に、まだ幼い子どもからでも十分に読める絵本です。
忘れてはならない事。
繰り返してはならない事。
この絵本を長く読み継ぐ事が、小さくても確実な平和への一歩であると、今日この日に深く感じました。
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【12】『まちんと』
松谷みよ子 文
司修 絵
偕成社 1978/03
幼い子どもでも読める絵本だと書きましたが、どのタイミングで子どもに与えるかは、しっかりと私達大人が吟味するべきだと思います。
この絵本に限らず、絵本は内容によっては、まだその年齢の子には早いものもあります。
わたしもそれこそ小学生の低学年の頃、戦争に関する絵本か本かを読み、怖くて夜寝付けなかった覚えがあります。
そんな経験を持つ方は少なくないと思います。
幼い子にこの事実を伝えるのは、残酷ではないのか。
まだ早いのではないのか。
そう思う方は、まだ読まれなくてもいいと思います。
わたしも、息子は今2歳ですが、今年この絵本を読み聞かせるつもりはありません。
3.4歳くらいになれば、戦争というものは理解できなくても、これが「小さな女の子が死んで鳥になるお話」という事は理解できると思います。
死を伝える事。戦争を伝える事と、切って離す事は出来ません。
ですが、まだ幼い内から敵を倒していく様なゲームを与える事に抵抗はないのに、戦争を伝えるのはまだ早いというのは、どこか間違っていると思うのです。
ゲームはリセットできます。失敗したらリセットして生き返らせる事ができる。
子どもにとってそれが当たり前になる事は、実際にあったとても残酷な戦争を伝える事よりもっと、怖い事だと思います。
戦争は怖いです。
ですがその怖さを感じる事は、生きている人間にとって当然の感覚です。
怖いという感情を無くす事の方が、もっともっと怖い事だと、わたしは思います。
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今日の空は少し曇っていますが、朝から鬱陶しいくらいの暑さやセミの元気な鳴き声は変わりません。
寝ぼけ眼で起きて来た息子が、抱っこをせがみ、絵本を読んでと持ってくる。
何て事ない朝8時の風景。
こんな朝が、ずっと続く事を祈っています。
150806
ayumi